帰天と往生

キリスト教の信者となって、教会に通い神父様の説教を聞いてますます確信してきたことは、カトリックも仏教(特に法然・親鸞の浄土真宗)も人生について全く同じことを語っていると思えることです。

カトリックでは、人が死を迎えることを「帰天」、すなわち天に帰って永遠の命を生きることを意味し、この天国へはどんな人であれ全て受け入れられると言う。

仏教では人が死を迎えることを「往生」と言い、これは「往きて生きる、又は往きて生まれる」すなわち死んで浄土へ渡り、そこで生き続ける、または生まれ変わって生き続けることを意味しているからです。

敢えて違いを言えば、仏教での死生観は、人間に留まらず、動物も植物も生きとし生きるもの全てをひっくるめて、輪廻
としてこの宇宙で生き続けていると解することでしょうか。

しかし、これもキリスト教での、神が万物の創造主であるとすれば、生き物に限らず無機物さえも含む全宇宙の営みを
神が司っているのですから、同じといっても良いかもしれません。

仏教の教え「般若心経」を毎日唱えながら、カトリックの洗礼を受けた身として、実感していることは、現代のカトリックがこれまで思っていたように中世の一時期のように、排他的では決してなく、キリストの出現した当時の極めて普遍的な教えに帰っていること、そして毎日の礼拝を通じて極めて実践的に、平和・共存を実践しようとしていることです。

今の仏教に、望むことはより社会に密着した実践的な活動を展開することではないでしょうか。 今の時代、心の問題を抱えている人があふれているのに、自分ではそれに気づかないでいる人も多いのではないでしょうか。 心の病は、薬に依存するよりも、むしろ宗教などによって癒されることも多いのではないでしょうか。 

朝の祈りの次の言葉は、正に生きる勇気を与えてくれます。

「新しい朝を迎えさせて下さった神よ、今日一日私を照らし導いてください。 いつも朗らかに健やかに生きることができますように!
物事がうまくいかない時も、微笑みを忘れず、いつも物事の明るい面を見て、最悪の時にも感謝すべき物あることを
悟らせて下さい。 
自分のしたいことばかりでなく、あなたの望まれることを行い、周りの人の事を考えて生きる喜びを見出させて下さい。  」

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